2012年3月度 WEB週報

3月7日(水)例会

詫間会長挨拶

今日は、近藤 厚志さん、和田 節代さんのお二人を新会員としてお迎えします。

ロータリーの仲間として、奉仕と親睦に共に努めたいと思います。

5日(月)上村会員の会社の新社屋完成披露宴に出席してきました。益々事業がご発展なされているご様子でした。世界中に販路が拡大されているとのお話、積極姿勢に大変感動致しました。これを機に更に飛躍を遂げるとのご計画、参考にさせていただきます。

先日配布された、“抜翆のつづり”に三浦雄一郎さんが父三浦敬三さんの話を書いた記事がありました。三浦敬三さんは日本スキー界の草分けです。99歳白寿でのモンブラン大氷河スキー滑降を計画し、トレーニングし、実現しました。100歳の祝賀パーティーで「私のスキーはまだまだ未熟です。さらに修行して上達しようと思います。」と挨拶して全員を呆れさせた、とのことです。

我々ロータリーは会社経営者と専門職の方ですから定年が無く、夢と目標を年齢に関係なく持てる立場にあります。三浦敬三さんに負けないように、年を経ても職業奉仕に夢と目標をもって励むことができれば幸せだと思います。

卓 話「イマドキの結婚事情」

藤田 徳子

玉藻公園・披雲閣で挙式
玉藻公園・披雲閣で挙式

 少子化による婚姻届出数の減少がありますが、最近は再婚カップルの増加などライフスタイルの変化に伴い結婚式のあり方にも変化が見られます。

特に若者たちの生活の多様化による晩婚化の傾向が顕著で、交際相手にいない未婚者が1987年には男48.6%。女39.5%だったのが、2010年には男61.4%で約13%、女49.5%で10%それぞれ増加しています。その上、これら未婚者の約半数以上が結婚を望んでいないという人口問題研究所の調査結果があります。

 さらに平均の初婚婚姻年齢の統計では、1975年には夫27.8歳、妻は25.2歳だったのが、2010年には夫が31.7歳で3.9ポイント、妻は29.4歳で4.2ポイントいずれもアップしてきています。

こうした晩婚化の背景を探ってみますと、男女ともに結婚の利点として「自分の子どもや家庭をもてる」というのが顕著に増えている反面、独身生活の利点について「行動や生き方が自由」圧倒的多数を占めています。

 一方で男は結婚で「社会的信用や対等な関係が得られる」が減少傾向、女性は「愛情を感じている人と暮らせる」が減少。独身生活の利点では、「金銭的に裕福」「家族扶養の責任がなく気楽」「広い交際範囲を保ちやすい」が比較的多くなっています。

 これらを総合的に考察してみると独身生活にメリットを感じて結婚しないのではなく結婚生活にデメリットを予想して未婚を選択しているとも考えられます。

 仕事を持っている女性は、経済的に今より良くなるのであれば結婚するという考えを持っているというのもあります。

 リクルート社による調査では、アラサー・アラフォー結婚が増えていて、30~39歳で結婚する女性の割合は30.8%で、30歳代のカップルが増加しているとのことです。

2005年の結婚費用の全国平均は397万円で、30歳代までに友人など数多くの挙式に出席して目の肥えた花嫁は衣装や料理にこだわる傾向が強くなってきています。

 列席者をおもてなししたい気持ちが強く、意味のない演出はしたくい、自分に似合うドレス選びなど大人の女性にふさわしい本物指向の美を追究したいと思っています。

 最近の人気プランは、宗教にとらわれず人前式を挙げるカップルやお城などで挙式をしたい若者の心を掴んだり、讃岐地方にかつてあった風習、出立ちを復活したりと頑張っています。お近くに未婚の方が居られましたら是非ご紹介ください。

3月14日(水)職場訪問例会 -琴平・金陵の郷-

詫間会長挨拶

 今日は23年ぶりの金陵の郷での職場訪問例会です。

IMの打ち上げと新会員歓迎例会を兼ねています。堀職業奉仕委員長、段取り有難うございました。西野さんお世話になります。波多村長さん、坂井醸造課長さんには設営とご講話をお願いしました。おいしいお酒を味わわせていただきます。

IMでは皆様に多大なご協力を頂き、有難うございました。

 新会員、和田節代さんを歓迎申し上げます。親睦を通じて、1日も早くクラブに親しんで下さい。

琴平RCから8名の幹部の方々のご参加を頂いています。IMのご協力有難うございました。また、創立50周年お目出でとうございます。素晴らしい式典にご招待いただきました。次年度IMのご担当ですので、情報交換したいと思います。

3月21日(水)例会

詫間会長挨拶

昨日20日(火)は春分でした。

 白~淡いピンク各色の桃の花があちこちで咲いて、春めいてきました。

台湾周辺にしか生息していない筈の亜熱帯性野鳥「ハッカチョウ」が3年ほど前から私の会社の軒先に来て巣作りを始めたなと気付いたのですが、今では高松中ハッカチョウだらけで、従来の生態系が脅かされている感じです。体全体が黒く、羽根に真っ白な紋がついて、飛ぶと綺麗ですが、すずめよりはるかに大きく、獰猛でカラス並みに家族の団結心が強く、群れで他の鳥を威嚇します。土着の野鳥の生存が圧迫されそうです。地球温暖化で高松もいよいよ亜熱帯になってきたと感じさせられます。

従来1、2月の筈のウナギの稚魚が6月頃日本近海で取れる異変が報じられていました。同じ流れかと思います。

 盛岡西北RCからソーラー街灯設置への協力依頼が来ています。『山間部の仮設住宅から小中学校への通学路の電柱・電線・道路が破壊されていて危険。電源配線不要のソーラー街頭の設置に協力願いたい。道路復興後は学校の校庭、公民館等に移設する。支援クラブ名は柱に刻まれる。』とのことです。今月の理事会で既に可決頂きました。金額は35万円です。

卓話 「最後の国民作家 司馬遼太郎を語る」

佐々木 正久

 司馬遼太郎は1996年に亡くなっています。生前から既に国民的作家だという評価で、長編小説で30編余、紀行文、歴史の舞台などを描いています。

 司馬遼太郎は大正12年に大阪で生まれ、大阪大学外国語部蒙古学科に入学、1年余り在籍して学徒出陣を命ぜられ、昭和18年に仮卒業して戦地へ行き終戦を迎えます。

 昭和23年に産経新聞京都支局に入社、昭和31年に「ペルシャの幻術師」という小説で第8回講談倶楽部賞を受賞しデビューします。昭和32年から京都の中外日報に「梟の城」を連載、第42回直木賞を受賞します。

 司馬遼太郎の文筆活動は、当初時代小説からスタートしますが、その後歴史をテーマに日本の国のあり方や日本人とはどういうものかを追求した作家だと思います。特に亡くなってから「坂の上の雲」がNHKで放映されてから人気に火を付けたような感じです。

 彼が書きたかったのは私を捨てて生きる明治の男を見事に描くのです。これが読者や映像を見た人に感動を与えるのです。司馬遼太郎は国家と国民ということを意識しています。

 「暗殺の年輪」で同じく直木賞をとった藤沢周平は、司馬遼太郎の様に大上段に振りかぶって天下国家を論じるのではなく、社会の底辺での下級武士の生き様を克明に描き、貧しい農民や市井の市民の営みを書き、絶体に天下国家を論じることはないのです。この対照的な藤沢周平と司馬遼太郎を読んで楽しんでいます。

3月28日(水)例会

詫間行芳会長挨拶

 桃、こぶしの咲く季節になりました。 ここ数カ月が花を一番楽しめる時期になります。

今日は、災害の話で、「東南海・南海地震に備えて」と題して国土交通省二川様にご講話頂きます。

災害に際しては冷静さが必要です。

 当社の社員が8年前の台風高潮災害の時、急激な海水の浸水で真っ暗になり、家財道具の手当てが全くできなくなりました。暗い中でじっと翌朝まで部屋を眺めました。夜光虫で部屋が青白く光って幻想的なのを楽しみましたとのことです。安全な場所でじっと過ごす災害時の沈着さも必要な場合もあるようです。

客話「東南海・南海地震に備えて」

国土交通省 二川 義人さん
国土交通省 二川 義人さん

国交省四国地方整備局 防災課 二川 義人課長

 

 東日本大震災を教訓に四国の私たちが今できること、しなければならないことについて考えてみます。

 四国で近年震度5以上の地震が起きたのは、2001年の芸予地震とか2000年の鳥取県西部地震、1968年豊後水道地震。日向灘地震などありますが、四国全体が震度5以上になったのは戦後間もなく1946年12月21日の昭和南海地震以来ありません。

 四国では大きな災害が起こっていない、逆に言い換えれば備えが出来ていないということになります。今回の東日本大震災を通して震度6や震度7の地震と津波がどれ程の脅威であるかが今回の経験で見えてきたと思います。

 そして自分の命は自分で守るということから、自分で考えて逃げる、揺れたらより高く、より遠くへ逃げるということが大事になってきます。そして「防災」「減災」というキーワードが地域の絆を取り戻すチャンスとして巨大地震に備えることが大事です。

 何ができるか、何をしておくかですが、南海大震災誌によると各種の教護物資の保管管理が悪かったので1ヵ所に格納してあった医療器具・薬品などの倉庫が破壊されて困ったので分散して保管する必要を痛感したと書いてあります。また家族間の連絡用の伝言ダイヤル(171番)は毎月1日、15日に練習できますので体験してみるとか、家族会議で離れていても連絡が取れるような方法を家族で考えてみる必要があると思います。

 水や食料の備蓄も大事ですが、それが役に立つのは生き残ったあとのことです。先ずは家に閉じ込められないように脱出路を確保し、生き残るための準備をして頂きたいと思います。

Club Banner
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 クラブバナーのデザインは、創立時のテリトリーのシンボル的存在だった栗林公園の「箱松」とロータリーのエンブレムを組み合わせたものです。

 箱松とは、その名の通り箱のかたちを装った松。樹芸の粋を極めた箱松は、ほかには見られない特別名勝 栗林公園ならではの景観をつくっています。

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