新年明けましてお目出とうございます。
皆様のご支援で上半期を終了し、下半期を迎えられました。
2月18日のIMという大きな行事に向けて、他クラブ訪問も終了し、実行に漏れが無いかという確認段階に入りました。充実した会合になりますようご協力を改めてお願い申し上げます。
篠田幹事、Sobhani会長ノミニーが気仙沼南RCを訪問し、米国イリノイ州Lake Forest & Lake Bluff RCからの義捐金を贈呈してきました。遠方お疲れ様でした。
私の会社の前の本津川のこぶ白鳥一家に昨年4月ひなが誕生しました。台風12号の後の疲れで子供が葦の中洲の茂みの巣でお昼寝している間は、両親が上流側と下流側で首を伸ばして頭を上げて周囲をじっと見張り続けていました。危険が一杯の陸上では子育ても大変。
年末まで親子連れだったのが、新年改まって見に行くと両親だけになっていました。巣立ちして独立したのでしょう。「お目出とう」といってやりました。
今年は以下の9名の方が長寿お祝いです。末永くご健康でロータリーにご参加下さい。
傘寿 松本会員、田邉会員
喜寿 越智会員
古稀 細溪会員、森恒弘会員、西尾会員
還暦 永野会員、山田会員、吉田会員
今日は後程新年会が催されます。増尾会員に新春を寿ぐ「高砂」の舞をお願いしています。
増尾 茂之
この「高砂」は神能物の代表作です。常に緑の葉をおとすことなく、年々歳々栄えをみせる松の讃美を主題にした御能全体の代表作の取り扱いを受けています。
常緑の松に祝賀慶祝の意味を託する最もめでたい曲です。
四海波静か(天下泰平の意)にて。
國も治まる時つ風。枝を鳴らさぬ御代なれや。(泰平の象徴)で謡はじめ・・・
ヲヒャ ヲヒャーーラーの能管(笛)の調べではじまる神舞は、あくまで爽快に気品溢れ、位(テンポ)は早く然も端麗なもの、ホウホウヒを8回きいて二段にはいり、さらに6回で三段にむかい、ヲヒャ ヲヒヤーリ ヒーでトメ
キリは天下泰平、国土安穏、万民鼓腹の祝意に充ち満ちた心をもってげにさまざまの舞姫乃。
聲も澄むなり住吉(すみのえ)乃松影も映るなる。青海波(せいがいは)とハこれやらん
神と君との道すぐに。都の春に行くべくハそれぞ 還城楽(げんじょうらく)乃舞
さて萬歳(ばんぜい)の小忌衣(おみごろも)(白布青摺の上衣。齋服)さす腕にハ悪魔を拂ひ。おさむる手には。壽福を抱き。千秋楽(せんしゅうらく)ハ民を撫で。萬(まん)歳(ざい)楽(らく)にハ命を延ぶ。
相生の松風 諷々乃聲ぞ楽しむ 諷々乃聲ぞ楽しむで舞を締めます。
それでは いざ 新春を寿がん
20日は大寒、1年で一番寒い週です。ご自愛下さい。
先週の新年例会では多くの皆様のご出席を頂き、また増尾会員に新年を寿ぐ“高砂”を舞って頂きました。
昨年 地区世界社会奉仕委員会の徳島南クラブの森本奈津子さんに東南アジアに井戸の水質簡易浄化装置寄贈のお話を頂いた折に、高濃度ヒ素の井戸水がそのまま飲まれている問題が提起されました。
ヒ素は猛毒で簡易浄化装置では除去できていないので、将来ロータリーが恨まれる懸念が残るとのお話でした。
現在、ヒ素濃度検出装置は高価で作業は専門技術を要します。
簡便な装置が研究されているとの新聞報道が有りましたので、実現したらロータリーとして浄化装置に添えて提供すべきかと思います。
香川経済レポート社 中西編集長
私は今の仕事を始めて33年になります。この間、経済界・経営者などに数多くお会いしていますが、セシール、加ト吉、穴吹工務店そしてマルナカという香川県下の代表的企業がアクシデントを迎えたことに大きな衝撃を受けました。
事前にもっと何とかならなかったのだろうか?どうしたんだ!何故なんだという気持ちを非常に強く感じます。これらには共通項があり、そこから分析をしていかないと中々見えてきません。
先ずセシールは今、3代目の社長です。会社も可成り弱体化して売上も激減しています。穴吹工務店は、全国展開をして一時はマンション業界日本一の売上を誇ったのですがリーマンショックもありましたが、アッという間に民事再生法適用となって現在再建中です。香川県の優秀な企業が、次から次へと消えていったのです。
この中ではマルナカが450億円という巨万の富を得たわけです。特にスーパー業界ナンバーワンのイオンが買収したことに大きなインパクトがありました。イオンにとっては将来的には大変なプラスになると思います。現在イオンから優秀な社員が入って取引先などの状況を精査していますが、マルナカの企業風土的なことは中々掴めないと思います。流通業界では瀬戸内の暴れん坊という異名があり、業界筋では一番良い時期に売ったと言っています。
それと加ト吉ですが、同族経営でしかも超ワンマン経営の弊害が一杯出ています。今回の話しの共通項は、穴吹以外は叩き上げということです。それだけに視野が狭いです。人の意見を聞かない。自分の独断で実行する。成功事例を元に自分だけの判断で物事に対処するから失敗が起こる恐れもある。
もっと人の話しを聞くことが大事です。ロータリークラブなどにも一切入らない。自分だけで動いているというところがあるのです。
側近にしっかりしたアドバイザーを置いていればこんな状況にはならなかったと思います。
パストガバナー 太田 英章
2011年は、高松市とフロリダ州セント・ピーターズバ一グ市の姉妹都市提携50周年に当たります。高松市民から親善訪間団を募集しているので是非参加して下さいとの案内状が、高松市国際交流室長の橋本氏から届きました。
何故橋本氏からダイレクトメーノレなのか?
それは昭和58年、私が高松市長選挙のキャンペーンの一つとして、選挙PRのために姉妹都市であるセント・ピーターズバ一グ市を訪間し、当時のフリーマン女性市長と会見し、地元新聞記者のインタビューを受けたのですが、橋本氏は丁度その時高松市の若手職員としてエッカード・カレッジに留学しており、共に楽しい時を過ごした間柄だったからです。
あれからもう29年も経ったわけです。私は、セント・ピーターズバ一グ市再訪問に当初あまり乗り気でなかったのですが、よく考えてみると、セント・ピーターズバ一グの近くには親友ジョー・サイデルが住んでいる、そして帰路ニューヨークマンハッタンの近くにはスベン・ジョンソンが住んでいる。この両者に再開する絶好の機会と気付き、勇躍参加することとしたのです。
市民訪問団は20~30人くらいかと予想していたのですが、60人もの参加があり、日本の老人達は、服とお金がたっぷりあるもんだと感心したものです。
若い人達にもっとお金を分配しなければと思います。
市長や市会議員で構成する公式訪間団と称する人達(税金を使う側の人々)9人は、旅行会社も飛行機もホテルも全く別々で、極力市民の目につかないように別行動していたのは非常に不愉快な感じてした。
50年前に、当時の国東照太市長が外務省に頼んで適当に選んでもらったのが、セント・ピーターズバ一グ市です。
港のある美しい町は良いのですが、何しろ高松から遠すぎる。カリブ海へ行くようなものです。一般市民が気軽に経費も安く行き来する事を考えなかったのか。
その点、松山市の姉妹都市は、カリフォルニア州サクラメント、サンフランシスコ空港から車ですぐ行ける便利きです。フロリダヘ行くには、ニューヨークとかデトロイトとかで乗り継がなければなりません。今回のデルタ航空は遅れが常態化していて、行きのデトロイト空港でも、帰りのJFK空港でも大幅にスケジューノレが遅れ、帰路は東京で余分の宿泊をする事となりました。
セント・ピーターズバ一グの目玉は何と言ってもダリ美術館です。スペインカタノレーニャ出身の画家、ピカソ、ミロらと並ぶ特異な芸術家です。エッカード・カレッジは、高松第一高校と毎年留学生を交換している単科大学で、ここの講堂でみんなゆかたを着て、お茶の会を催し、親善と交流を深めました。
翌日はセント・ピーターズバ一グ美術館(Museum of fine arts)で公式昼食会をし、記念植樹をしたあと、メジャーリーグ野球のタンパベイ・レイズの根拠地トロピカーナ・フィールドを見学しました。
この間私は、旧友ジョー・サイデル夫妻を呼びました。大桟橋の4階にある100年の歴史あるスペイン料理店コロムビアで、手作りのサングリアをご馳走になりました。フレッシュフルーツを切り刻んだ上に、シャンペンを1本ふりかけて、目の前で作るサングリアの美味は忘れられません。
このレストランは、ヘミングウェイやマリリンモンロー、ジョー・ディマジオらが利用していた歴史があるそうです。可成り年を取ったジョー・ザイデルとは、これが人生最後の出会いであろうかと、お互いに目をうるませてハグしたものでした。
ニューヨーク、マンハッタンでは、クラウンドゼロの殉職した消防士たちのモニュメントに献花しました。ニュージャージー短期交換学生たちと4回も登ったことのあるあの貿易センターのツインタワーは、10年前の9.11で今は無く、新しい建物が建ちつつあります。
すぐ近くウォールストリートの横にある小公園で、若者たちが世の中の不公平に抗議して気勢を上げていました。
翌日は、自由の女神を見ただけで、その他のニューヨーク観光スポットには参加せず、スベン・ベルガ、ジョンソンをニュージャージーから呼び出して、何年か振りの再開を楽しみました。ベルガとはいつもメールのやり取りをしているので久しぶりの感じはありません。ヒルトンホテルの近くの寿司屋でベルガの好きな日本酒を飲み、寿司、刺身を堪能しました。
カリフォルニア米の国光でしょうか鮮度の良い魚と合わせて、日本で食べる寿司よりおいしいのではないかと思いました。何しろニューヨークには数百軒の日本料理店があるそうですから。
5番街の一等地に数日前にオープンしたばかりのユニクロの大型店に長い行列が出来ていたのには驚きました。
今回の親善訪間には高松南RCから3人も参加していました。
佃会員は市民団の団長として、上村会員はたくさん写真を撮っていただき、お二人には大変お世語になり、ありがとうございました。