挨拶で話す話題が見つからないと思っていましたが、12人の会員が誕生月を迎えました。一言ずつ感想などをお聞きしても、相当時間がかかります。
それから、今日は藤田莉子さん(藤田徳子会員の長女)が「ロータリー少年少女キャンプに参加して」という演題で卓話をしてくれます。じっくりお聞きしたいと思います。(小学校4年生の卓話は、最年少記録かもしれません)
香川大学教育学部附属高松小学校 3年 藤田莉子
3月29日からきのうまで小豆島余島で「ロータリー少年少女キャンプ」に参加しました。去年はじめて参加し今年は2回目でした。
はじめて参加したとき、食事が少なくてお腹が減ったり、遠くまでカヌーをこいで行かなくては食事ができなかったり、つらいことがたくさんありましたが、やっぱり今年も参加させていただきました。
今年は、キャンプのにもつをお母さんに手伝ってもらわずに、全部自分で用意しました。去年寒くて眠れなかったので、今年はあたたかい洋服をたくさん持っていくことにしました。海での活動もあって困ったおぼえがあるので、半ズボンも用意しました。キャビンの中はせまくて他の人の荷物とまじってしまうので、全部に名前を書きました。
集合場所のフェリー乗り場に着くと、去年仲良くなった高校生のお姉さんと中学生のお姉さんが「りこちゃん、去年しんどかったから、もう来ないかと心配していたよ」と言ってやさしく声をかけてきてくれました。友だちがいないかなと不安だったので、家に帰った時のように安心しました。
フェリーの中では、去年仲良くなったお姉さんたちと、去年のキャンプの思い出を話したり、船長さんのところで見学をさせてもらったりしました。
小豆島にとうちゃくするとバスに乗って、それから小さな船に乗って余島にわたりました。余島に着くとキャビンごとの仲間わけがされます。去年同じキャビンだったお友だちにも会えました。その夜はみんなでキャンプファイヤーをしました。
3月30日 キャンプ2日目。「植樹活動」をしました。あれてしまった余島のかじゅ園を私たちの手で復活させようというプログラムです。木のことや木が育つかんきょうについて勉強をしてから植樹をしました。植樹をするのは初めてでしたが、ミミズやセミやカブトムシの幼虫、ムカデなどにビックリしました。私は、仲良くなった同じキャビンのみとちゃんと一緒にブラッドオレンジを植えました。
そのあとは、ボランティアのマリオさんというおじさんと自然の木をつかった工作をしました。私はえんぴつを作りました。マリオさんとは島の探検もし、サトウキビを見つけました。去年も見つけてとてもお気に入りだったので、初めて食べるお友だちにもしょうかいしてあげました。
3月31日キャンプ3日目。とても楽しみにしていた野外料理活動です。料理は、ポトフ、焼きリンゴ、焼きバナナを作りました。
野菜をきったり、なべでにこんだり、おうちでのお手伝いがいかせました。よごれたお皿をあらったり、重い荷物を片付けたりすることもいやなことではありません。料理のコンテストでは、賞をもらえませんでしたが、みんなと協力してつくった料理はとてもおいしかったです。
フリーアクティビティでは、カヌーを選びました。去年はじめてカヌーをこいだ時、とてもしんどくてやめたいと思ったのですが、今年はもっと気持ちよくこげるようになっているかもしれないともう一度チャレンジしてみました。
4月1日 キャンプ4日目。自分で選ぶプログラムです。私は3日目の続きで「ヒミツきち作り」に参加しました。竹でコップを作ったり、焼き板で自分のきちのカンバンを作ったりすることが私の担当でした。ヒミツきちではおやつも作りましたが、リーダーさんが間違えて、バウムクーヘンがパンケーキになってしまっていました。体を動かしたあとのおやつは、しっぱい作でもおいしかったです。
夜はみんなとお別れの会、カウンシルファイヤーでした。このキャンプでけいけんしたことをふりかえり、これからの自分にどういかしていくかと考える時間です。
4月2日キャンプ5日目。いよいよみんなとお別れです。歌ったり、おどったり、そして一緒に食事をつくったり、寝たり、お風呂にはいったお友だちとはまるで家族になれたような気がしました。だからお友だちとのお別れはとてもさみしかったです。
私は、去年につづいて少年少女キャンプには二回目の参加でした。去年も感じたことですが、今年はもっと強く感じたことがあります。
それはキャンプのリーダーさんたちが、とても私たちのことを思ってくれているということです。人にやさしくするのは楽しい時だけではなく、つらいことや大変やことをする時こそ本当のやさしさが分かります。
私は大学生になったらキャンプのリーダーになって、子どもたちのお世話をしてあげたいと思いました。そして大人になったら、小さな子どもやこまっている人たちを助けられる役にたつ人間になりたいと思いました。
ロータリーのみなさま、私を少年少女キャンプに行かせてくださりどうもありがとうございました。これからはキャンプの体験をいかして勉強していきたいと思います。
「今日は職場例会ということで、ゴングがありません。」とSAAは言いましたが、ここにゴングが見えます!?これから、エアー点鐘をしたいと思います。みなさん、心の耳で鐘の音を聞いて下さい。
さて、四国電力高松支店で、職場例会を開くに当たり、支店長の谷崎さんには、いろいろお世話になると思っていましたが、入り口の警備、その後の誘導、案内、説明、すでに大勢の皆様に大変お世話になっています。ありがとうございます。皆様のおかげで職場例会ができます。有意義な例会になると確信しています。よろしくお願いします。
久し振りの職場訪問例会は、会員の谷崎浩一支店長のお世話で高松市亀井町の四国電力高松支店で開催しました。ビル1Fのエントランスでは、水力発電の父といわれる福沢桃介の胸像がクラブ会員を出迎えてくれました。桃助は慶應義塾の創設者福沢諭吉の娘婿で、大きな川がない香川県へ祖谷川水系の三縄発電所を建設し香川に送った当時の四国水力電気(株)の社長として尽力され、いわば電力の恩人ともいうべき方です。
例会では8階ホールで谷崎浩一支店長から支店の概要の説明を受けました。特に電力部は変電所や配電センターなど中枢機能があって総務、営業を含め約400名の方が働いているということです。
見学は二組に分かれて配電自動化システムから始まりましたが、管内(高松市、さぬき市など)の4300kmに及ぶ配電系統盤には赤や黄のランプを結んだ送電網が一覧できます。ここでは四六時中監視業務が行われているのだそうです。ガイドをしてくれた係の方が、模擬的に配電系統の一部でトラブルが発生したという想定でデモをしてくれました。停電した地域に別のルートから迂回して送電が復旧される様子がよく分かりました。
一般人が入ることはない地階にある高松中央変電所は、まさかビルの地下にこんな設備があるのかと思うぐらいの別世界でヘルメットを着用して狭い場所で説明をうけました。
坂出火力発電所から送電線で送られてきた高圧の電気は、変電所に入って六千ボルトに落とされ、電柱を伝わって柱上変圧器で100ボルト、200ボルトに下げて家庭に送られています。
変電所の内部には6千ボルトの高圧が流れている部分が剥き出しになって見ていても吸い込まれそうな気がします。
見学を終えて8Fのホールに戻り、電柱のカラス対策などの機材の説明を受けました。電柱の頂上付近に作られたカラスの巣が展示されています。毎日管内の電柱を巡視して見つけては駆除するのだそうですが、年間8千個にもなるそうです、このうち停電になる事故は9件ぐらいだそうです。カラスは保護鳥なので駆除するにも県知事の許可が必要なのだそうです。
山が浅い香川県では、宅地などの開発でカラスも子育てする場所も少なく、段々平野部に降りてきているのだと思いますが、カラスも子孫を残すのに懸命で、人間との知恵比べですね!
次年度の地区委員の皆様に委嘱状をお渡ししました。委員の支えによって地区の運営がなされます。広い意味でのクラブ奉仕です。ご活躍いただきたいと思います。
ところで、私は、先日、貸借対照表に借地権の記載がない場合、その意味するところは何かについて、ある会員に電話でお聞きしました。その結果、自信を持って弁護士として事案処理の方針等の判断をすることができました。職業奉仕をしていただきました。感謝しています。ロータリーの奉仕の精神について、身近な実例をお話しして、私の挨拶を終わります。
ロータリーの友地区代表委員 石川 浩
4月はロータリー雑誌月間。RI初代事務総長チェスリー・ペリーによる『THE NATIONAL ROTARIAN』(現在の機関誌『THE ROTARIAN』の前身)の創刊日1911年1月25日を記念し、当初は1月25日を含む1週間が雑誌月間とされていたが、1978-79年度から4月に移され、1983-84年度に現在の形となった。RIの認定した地域雑誌は現在30、これとRI機関誌を合わせて「ROTARY WORLD MAGAZINE PRESS」と呼んでいる。
わが国の『ロータリーの友』は1953年1月に創刊(横組み)され、2013年1月に創刊60周年を迎えた。現在のように縦組み・横組みが別れた編集になったのは1972年1月から。また、1979年7月号から1年間の試験期間を経て、1980年7月号からRIの公式地域雑誌に認定されている。その編集方針については本クラブ月報本年3月号に委ねる。
『友』誌4月号によれば、「ROTARY WORLD MAGAZINE PRESS」の創刊年順は、①RI機関誌:1911年、②イギリス:1915年、③イタリア・ブラジル:1924年、④オランダ・チリ・南アフリカ:1927年、⑤ドイツ:1929年。また、発行部数は、多い順に、①RI本部:500,000、②インド:97,630、③日本:95,700、④デンマーク:65,707、⑤ドイツ:57,000、⑥英国・韓国:56,000。順番の意外さに驚きを禁じ得ない。
一方、2008年8月には広報誌『ROTARY 世界と日本』が創刊(毎年8月にupdate)され、A5判16ページの小冊子で、1セット(10冊)525円。クラブや地区で開催する公開講座、スポーツ大会や、地域でのイベントの際にロータリアンでない人々に配るのに役立つ。2009年8月には会員勧誘用の新しい小冊子『ROTARY あなたも新しい風に』が創刊(毎年8月にupdate)され、B5判12ページ、1セット(5冊)420円。先の広報誌と一緒に会員候補者または新会員に手渡せば、短時間でロータリーの概要が分かる仕掛けだ。
著作権を遵守し、投稿規程や投稿募集に従って他の範となる活動状況の投稿に努めるとともに、『友』誌をよく読み、ロータリアンの義務を果たそうではありませんか。
地区大会に参加して、楽しんでいただけましたでしょうか。大会第1日目には、尼崎西ロータリークラブの田中毅さんが「シェルドンの奉仕理念」と題して基調講演をしました。会員相互の取引のための組織に過ぎなかったロータリークラブに、シェルドンが、経営学に基づく奉仕理念を導入したこと、その基本は「他人からしてもらいたいことを他人にせよ」という理念(黄金律)であること、その理念は経営が継続するためには不可欠であることを教えていただきました。2日目には、川井郁子さんのヴァイオリンの演奏を楽しみました。目で見ても楽しめる演奏でした。その後のアートフォーラムで、北川フラムさんが、瀬戸内国際芸術祭を支えるボランティア団体の「こえび隊」について、祭りの本質ないし楽しみは参加にあると言っていました。私は、「参加して楽しもう」という今年度のクラブ運営方針に自信をもちました。
公益財団法人 松平公益会 理事長 佐伯 勉
客話をいただく佐伯勉さんが理事長をお勤めの公益財団法人松平公益会は、大正14年第12代当主松平頼寿公が設立。松平家の財産を受け継ぎ、法然寺五重塔建立をはじめ教育や文化分野などへの支援事業を続ける法人です。
讃岐松平家の始祖は徳川家康公の孫にあたり、水戸光圀公の兄にあたる頼重公です。その間、色々な事情が重なり2代目頼常公は光圀公の長男です。頼重公の長男が水戸徳川家を継いでいます。
もともと高松城は秀吉によって封じられた生駒親正公によって築城されたもので、瀬戸内防衛の要として北側はそのまま海、残り三方の濠に海水を引き入れた海に浮かぶ水城でした。
生駒家はその後お家騒動で転封され、そのあと松平頼重公が12万石の藩主として高松に入府した。将軍家御連枝として格式も高く、幕府内で重きをなした。
以来、高松城は、生駒家4代54年、松平家11代228年の、歴代藩主の居城として、三層五階の天守が瀬戸の海に映え、「讃州讃岐は高松さまの、城が見えます波の上」と歌にも歌われたほどの美しい名城でした。
また、藩祖・頼重公は水練を奨励され、「高松御当所流」と呼ばれ、後に「水任(すいにん)流」を正式名称とし、古式泳法として今日に伝わっている。
天守閣はその美しさと威容を誇っていたが、明治維新後の版籍奉還に伴って取り壊された。1980年代から「高松のシンボルにふさわしい水城を復元し、天守閣復元を目指した」が、天守閣の外観原形を示す資料が写真一枚しかなく、作業は難航した。高松市が本格的な調査に乗り出し、現存する、天守台を囲う石垣の実測と解析を行いました、そののち、天守台の石垣を取り壊して内部を調査した結果、未解明だった天守閣の構造や内部の解明が広島大学の研究とともに進捗し、完成度99%の復刻図面が完成した。
天守閣再建の道はできました。あとは市民の応援です。