元会員の植松幸雄さんがお亡くなりになりました。植松さんは昭和3年のお生まれで、高松南RCには昭和40年に入会され、昭和53~54年、牟禮米一PDGが会長の年度に幹事を、昭和60~61年に第29代の会長を務められました。幹事時には栗林公園北庭と中央通り沿いの三木武吉像横にアメリカ花水木を植樹し、会長時には4月の新会員歓迎花見例会を栗林公園の会仙亭で行ったという記録があります。長年のご指導に感謝申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
今日はその栗林公園での花見夜間例会です。27年前、私が初めて高松に来たときにも訪れて、素晴らしいと思いました。何度歩いても素晴らしいです。皆様にthank you(39回例会)です。
渡邉 芳郎会員(香川銀行本店営業部長)がご昇進なされ、後任の川井幸治様に引き継ぎになりました。
アメリカハナミズキ、西嶋八兵衛の碑等の寄贈はじめ長年にわたり栗林公園の発展にご貢献頂いています。また今回は栗林公園カルタをご贈呈頂けるとのこと感謝に堪えません。
まだ贈呈に手続きが必要とのことですので、今日は三好所長さまにご紹介と、会員皆様に回覧致します。
即興舞「サイレント瀬戸内」 舞人もどき 増尾茂之
サイレント瀬戸内と名づけて、瀬戸内のエピソードを一指の舞にまとめました。
海東側の淡路島は、神々が最初に創造した島であり、その島をはさんで、高砂の松と住吉の松とは相生の松、長寿と夫婦相老の仲睦まじさの象徴です。そんな瀬戸内海にも戦乱の時代がありました。須磨の浦から高松・屋島・壇ノ浦を舞台にした源平の戦いでした。そんな中にあって、大和朝廷のときから大陸との交流の大動脈としての瀬戸内航路とともに、瀬戸内海の多島美を積極的に評価し、1934年の第1回指定で、日本初の国立公園「瀬戸内海国立公園」となりました。
四方を海に囲まれた私たちは海でつながる国民です。海の恵みとともに海の恐ろしさを3・11東北大震災の津波による大きな犠牲を忘れてはなりません。この瀬戸内も三陸の海につながっています。鎮魂の舞でしめくくります。
650年以上前、猿楽の能を大成した世阿弥は、その著書「風姿花伝」で「舞台は即興だ」と強調しています。つたない舞ですがご覧ください。
豊田PDGがクラブと栗林公園との関りの歴史紹介と乾杯挨拶により花見懇親会開始
増尾副会長の中締め、「手に手つないで」唱和し、終了しました。