上野ロータリークラブと友好交流スタート -2004.6.20-

 上野ロータリークラブとの友好クラブ縁組は、平成16年(2004)の前川雅一会員(当時)の卓話に始まります。殊に卓話の中で、“香川の水の恩人である西嶋八兵衛について香川県人が名前も功績を知らないのは、忘恩の輩といわれても仕方なく恥ずかしいことだ”とのべた件に会員が反応した結果、西嶋八兵衛の出身地の三重県伊賀市のロータリークラブを訪問しました。

 初めての訪問は、平成16年6月20日から21日にかけて年度末の慌ただしい時期のことでした。当時の週報の向井攻一会長の会長報告を以下に再掲します。

 “【会長報告】台風6号と相前後して上野ロータリークラブ(三重県上野市:当時)を8名の会員が訪問し、15名のクラブ員と交流・友好を深めた。20日(日)は台風の影響はほとんどなく、西嶋八兵衛についての角舎利先生の講話を拝聴、西嶋八兵衛の屋敷跡や菩提寺崇広寺に参拝、夜は交歓会を開催し、お互いロータリアンということもあり、初めての顔合わせと思えない永年の知己の如くの盛り上がりがあった。

 帰路は、台風情報を気にしながら、早朝ホテルを発って、車のフロントガラスを滝の様にたたき付ける雨の中を走り、明石大橋は通過したものの鳴門大橋が通行止めとなって、約3時間淡路島の近くの料亭で時間待ちをして夕刻、帰着しました。“

 2004年度は5月23日(日)、大阪ドームを会場に実に26年ぶりに日本で開催された国際大会(関西)の開会式に例会変更をして多数の会員が参加するなど大きな行事が目白押しの年度でした。

 従って上野ロータリークラブ初訪問も年度内には実行したいという会長・幹事の強い思いもあって台風6号が沖縄から四国に向けて北上してくる中、香川大学工学部キャンパスに集合、乗用車2台に分譲しての強行スケジュールとなりました。台風に追いかけられるように上野市(当時)に向かいおよそ4時間余りで到着。

 現地では左橋佳三会長、余野部猛会長エレクト、 山出美材幹事ら15名が出迎えて下さいました。

早速、上野市立図書館にて郷土史家の角舎利先生の講話を拝聴、西嶋八兵衛の菩提寺 正崇寺に眠る讃岐の恩人に感謝の参拝、西嶋八兵衛の屋敷址で記念撮影、藤堂高虎の居城伊賀上野城や俳聖殿、伊賀流忍者博物館などを案内して頂きました。

 翌21日は、テレビが伝える台風6号の進路予想が四国を横断するという報道に、予定を切り上げ、兎に角本四橋が通行止めになる前に四国へ渡ってしまおうと早朝ホテルを出立しましたが、明石大橋を渡り、鳴門大橋前の淡路島南パーキングエリアに誘導されて通行止めを知らされました。

 車の中で台風通過を待つわけにもいかず南あわじ市の温泉旅館で食事をしながら待つこと3時間、丁度大鳴門橋が眼前に拡がる景観の良いところです。やがて大橋上を走る車の列を確認して帰路につき、やっとの思いで夕刻高松に帰り着きました。

 よく考えれば、暴風域半径280キロメートルの大型台風と直接対峙、全員無事に帰高出来たことに感謝することしきりの幹事年度の顛末ではありました。

(越智 繁彬)

西嶋八兵衛の墓前にて上野ロータリークラブの皆さんと記念撮影
西嶋八兵衛の墓前にて上野ロータリークラブの皆さんと記念撮影
Club Banner
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 クラブバナーのデザインは、創立時のテリトリーのシンボル的存在だった栗林公園の「箱松」とロータリーのエンブレムを組み合わせたものです。

 箱松とは、その名の通り箱のかたちを装った松。樹芸の粋を極めた箱松は、ほかには見られない特別名勝 栗林公園ならではの景観をつくっています。

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