私は石垣(島)の生まれで、1960年代後半に首里城跡地にできた琉球大学に進学しましたが、その当時は丘の上にコンクリートの建物があるだけでした。そこは沖縄戦の時に、その地下壕に旧日本陸軍の司令部が置かれたため、米軍により集中的に攻撃されたところで、首里では地上に立つものほぼすべてが破壊されており、誇れるものや文化などは何もないところだと思っていました。
私が鎌倉芳太郎先生の名前を知ったのは1972年2月、私が22歳の時でした。
1972年5月15日に沖縄は日本に復帰しましたが、その直前の同年2~3月に、首里の龍潭池の向かいにあった琉球政府立博物館で「五〇年前の沖縄―写真で見る失われた文化財」が開催されました。
当時の沖縄は基地の問題や、1ドル360円の交換レートを始め、政治的にも経済的にも騒然としており、そのような社会の混乱の中で、沖縄文化は主張するに足るものであるか、などといった疑問が自分の中で渦巻いている時でした。
ソバハニが,一緒にゴルフをしているとき,直角に曲がる川の話をしました。私は,ソバハニが興味をもっているなら,RCの卓話でその川について話してみたいと思いました。研修リーダーの具体的な活動として,面白い卓話をすることによって,例会に出席してよかったと思ってもらうことを考えていたからです。
平成30年10月12日 栗林公園内 ガーデンカフェ栗林にて
バリー ラシン(Barry Rassin)RI会長は、バハマ国(Bahamas)イーストナッソー ロータリークラブの所属です。本日、客話をしていただきますジャネル ウイルソン(Jannelle Wilson)さんも、バハマ国の方です。バリー ラシン会長は、米国フロリダ大学で病院管理運営のMBA(経営学修士)を取得され、バハマで医療機関の院長や理事長をされておられます。...